日曜日, 3月 20, 2011

アンドラスの考え

宮城県山元町にALTとして赴任していたアンドラス。

先日アメリカ政府は原発の80キロ圏内にいるアメリカ国民は
安全県内日に何するように指示を出しました。

それに伴い、町の半分以上が津波で更地になってしまった
山元町を、泣く泣く後にしました。

駅も流されてしまったので、
ヒッチハイクで仙台へ。


そこから、東京へ。

今は東京のお友達のうちへ避難させてもらっています。


アンドラスは震災後6日間停電で連絡がつかない間、
避難所となった学校でみんなで助け合っていたそうです。

その彼が思ったこと。。
それは、今自分に何ができるか。

もちろん日本中の一人一人がそう思っているのですが、

災害を体験してきた彼は、
山元町のこれからを考えています。

町の復興は日本中の方々の好意で
きっと少しずつなされるでしょう。

アンドラスとしてはその先を考えているそうです。
学校の制服がなくなってしまった子供たち。
教科書、ノート、筆記用具など・・・

山元町の子供たちの未来のために、
彼は募金活動を始めました。

アメリカにいる友人たちにFace Bookで呼びかけ、
いま、彼の呼びかけに、沢山の人々が支援を申し出てくれています。


私たちも、山元町の子供たちに
少しでも手助けできればと、
アンドラスの活動をサポートしていこうと思っています。

0 件のコメント: