宮城県山元町にALTとして赴任していたアンドラス。
先日アメリカ政府は原発の80キロ圏内にいるアメリカ国民は
安全県内日に何するように指示を出しました。
それに伴い、町の半分以上が津波で更地になってしまった
山元町を、泣く泣く後にしました。
駅も流されてしまったので、
ヒッチハイクで仙台へ。
そこから、東京へ。
今は東京のお友達のうちへ避難させてもらっています。
アンドラスは震災後6日間停電で連絡がつかない間、
避難所となった学校でみんなで助け合っていたそうです。
その彼が思ったこと。。
それは、今自分に何ができるか。
もちろん日本中の一人一人がそう思っているのですが、
災害を体験してきた彼は、
山元町のこれからを考えています。
町の復興は日本中の方々の好意で
きっと少しずつなされるでしょう。
アンドラスとしてはその先を考えているそうです。
学校の制服がなくなってしまった子供たち。
教科書、ノート、筆記用具など・・・
山元町の子供たちの未来のために、
彼は募金活動を始めました。
アメリカにいる友人たちにFace Bookで呼びかけ、
いま、彼の呼びかけに、沢山の人々が支援を申し出てくれています。
私たちも、山元町の子供たちに
少しでも手助けできればと、
アンドラスの活動をサポートしていこうと思っています。
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